失ったからこそ、
伝えたいこと。
HAEJ代表理事 松山真樹子さんが
語る、
希少疾患と生きる
家族の歩み
「RARE VOiCE RELAY」は、希少・難治性疾患と向き合う人々の声を社会につなぎ、よりよい支援のあり方を共に考えるRARE LiNK PROJECT の活動の一つです。患者数が少なく、専門医や治療法が限られ、その悩みや課題が社会全体に共有されにくい希少・難治性疾患。その患者さんやご家族、医療関係者などの声を丁寧にすくい上げ、立場を越えて社会につなぐことで、より多くの人が様々な視点から希少・難治性疾患への理解を深め、身近な課題として捉えるきっかけを届けていきます。
今回のゲストは、HAE(遺伝性血管性浮腫)(※1)の患者会、NPO法人HAEJの代表理事・松山真樹子さん。HAEの診断が付かないままご主人を亡くされ、その後、娘さんもHAEと診断されました。家族として向き合ってきた経験をもとに、当事者が抱える悩みや社会の課題、そしてこれから目指したい社会の姿についてうかがいました。
※1 HAE(遺伝性血管性浮腫):遺伝子の変化により顔や手足、腹部、喉などが突然腫れ、発作を繰り返す希少疾患。喉に症状が出た場合は命に関わることもある。
2014年、遺伝性血管性浮腫(HAE)の患者会であるNPO法人HAEJを設立。2023年より代表理事を務める。HAE患者の家族という立場を活かし、疾患の認知拡大や診断率の向上など、海外の患者会と連携しながらさまざまな活動を実施。毎年5月16日を「HAE DAY(HAEの日)」と制定し、全国の施設で一斉にパープルのライトアップを行うキャンペーンを共催するなど、HAEの啓発を行っている。
やっと分かった病名
—でも、そのとき
夫はいなかった
- — まずは、ご主人に原因の分からない症状が続いていた当時のことからお聞かせください。
後にHAEと分かるその症状と、家族としてどのように向き合っていらっしゃったのでしょうか。 -
夫には、学生の頃から手足の腫れや激しい腹痛といった症状がありました。頻度としては年に2〜3回ほどでしたが、そのたびに日常生活に支障が出るような状態で、大学受験の際には腸閉塞として手術を受けたこともあったと聞いています。
ただ、腸閉塞やアレルギーなど、その都度さまざまな診断はつくものの、根本的な病名は分からないままでした。さまざまな可能性が挙げられるものの決定的な原因は見つからず、対症的な対応を繰り返すしかない。そんな状態が長く続いていました。
夫は、「どうせ分かってもらえない」と感じていたのか、どこか諦めているような様子もありました。それでも私は、「このままでいいはずがない」とインターネットで日々情報を調べていました。しかし、「これだ」と思える情報にはなかなか出会えず、暗中模索のまま、日々を過ごしていた感覚です。
そんな中で起きたのが、あの出来事でした。
ある日、夫が「喉の調子が少しおかしい」と話していたのですが、そのときは深刻には受け止めていませんでした。季節の変わり目でもあり、体調を崩すこともあるだろうと。その日は転職初日でもあり、「無理しないでね」と送り出したのを覚えています。
ですがその後、急激に状態が悪化しました。帰宅途中に駅で合流したときには喉が大きく腫れ上がった明らかに異常な状態で、そのまま病院へ向かおうとした矢先、夫は倒れてしまいます。
あまりにも突然のことでしたが、その時は目の前のことにただ必死に取り組み、救急車を呼び、そのまま電話口で救急隊の指示に従いました。
その後、医師から厳しい状況を告げられたときも、すぐには現実として受け止めきれませんでした。救急対応をしていただいたら回復できるはずだと、どこか前向きに信じていたのです。ついさっきまで普通に会話をしていた人が、もう戻らないかもしれない。まさに青天の霹靂でした。
- — ご主人が他界され、小さなお嬢さんを抱える中で、当事者やご家族が直面する課題をどのように実感されてきましたか。
-
夫が生きている間、症状の原因は最後まで特定されませんでした。夫が亡くなった後、担当くださった救急の先生がこれまでの症状や経過をあらためて一つひとつ整理し、文献やネットを丹念に調べてくれました。その中で浮かび上がってきたのが、HAEという病気でした。「やっと分かった」——そのとき、長く続いていた“分からなさ”から解放されたような感覚があったのを覚えています。
ただ同時に、「もっと早く病名がわかっていたら」という思いも残りました。
あまりにも突然の出来事に、しばらくは現実を受け止めきれない気持ちでした。それでも、母親としての娘との生活は止まりません。気持ちの整理がつかないまま、育児や仕事、今後の生活や手続きなど、次々と現実が押し寄せました。夫が亡くなってからの1年は、「大変だった」という言葉ではとても足りない時間だったと思います。
その中で一つ救いだったのは、夫の診断の際に、娘にもHAEの診断がついたことでした。夫のときのように、無力感の中で見守るしかなかった状況とは違い、「備えることができる」と分かったことは、大きな支えになりました。
不安が消えたわけではありません。それでも、「できることがある」と知れたことが、病気を前向きに捉えて対応していくための拠り所になっていったのだと思います。
伝わらないことが、
心の距離を広げてしまう
- — 松山さんは、HAEの患者会NPO法人HAEJの代表として、多くの患者さんやご家族と向き合ってこられました。そうした声を通して見えてきた、日常生活における課題にはどのようなものがありますか。
-
日常生活のさまざまな場面で、「どこまで配慮すべきか」という判断が現場に委ねられていることは、大きな課題の一つだと感じています。
例えば、子どもの場合、修学旅行や遠足に参加する際に、「万が一のときに責任が持てない」という理由で、保護者の同伴を求められるケースがあります。一方で、事前に十分な情報共有を行い、柔軟に対応してくださる学校もあります。つまり、同じ病気であっても、環境によって選択肢の幅が大きく変わってしまうのが現状です。
体育の授業でも、発作のリスクを心配して「見学していたほうがいいのでは」と勧められることがあります。それ自体は子どもの安全を思っての判断ですが、結果として、本人が本来参加できたかもしれない機会を少しずつ失ってしまうことにもつながりかねません。
善意の配慮であっても、その積み重ねが子どもの経験の幅を狭めてしまう可能性がある。そうした難しさが、HAEとともに生きる日常にはあると感じています。 - — HAEへの理解が十分ではないことで、誤解されることもあるのでしょうか。
- そうですね。見た目だけでは深刻さが伝わらず、「手が腫れているだけではないか」「大ごとにしているのではないか」と受け取られてしまうことがあります。
命に関わる可能性のある病気でも、症状が落ち着いているときにはその重さが見えにくい。結果として、必要な配慮につながらない場面も出てきます。
実際に患者さんの中には、「本当に難病とされる状況なのか」「少し腫れるくらいなら我慢できるのではないか」と言われ、十分に配慮してもらえなかった経験を打ち明けてくださる方もいます。そうした話をしているうちに、それまで抑えてきた思いがあふれ、涙ぐまれることもあります。長い間、我慢を重ねてきたのだと感じます。
配慮が足りない場合もあれば、必要以上に制限されてしまう場合もある。そのどちらにも共通しているのは、病気への理解が十分に共有されていないという現実です。
さらに、何度も説明を重ねることは、思っている以上に心を消耗させます。「分かってもらえないかもしれない」「迷惑をかけてしまうかもしれない」—— そんな思いが重なるうちに、伝えること自体をためらってしまう方もいます。
こうした状況が続けば、孤独感は少しずつ強まっていきます。
「自分だけがこういう状況なのではないか」と感じてしまい、つらさを誰にも言えなくなる。説明しても分かってもらえないかもしれないと思うと、次第に口を閉ざしてしまうのです。「周囲に迷惑をかけたくない」という思いから、挑戦してみたかった仕事を諦めてしまうことがありますし、家族のサポートのために働き方を制限せざるを得ないケースもあります。やる前から諦めてしまう姿を、私はこれまで何度も見てきました。
「我慢すること」に慣れてしまうのが、一番つらいのかもしれません。そうして選択肢が少しずつ減っていく現実に、胸が痛みます。
「自分だけではない」と
知ったとき、
人は前を向ける
- — これまでの経験を経て、HAEJの代表理事を務められている背景には、どのような思いがあるのでしょうか。
-
NPO法人HAEJは2014年に設立された患者会で、今年で12年目を迎えます。私は2023年から代表理事を務めていますが、実は、最初に患者会の立ち上げについてお話をいただいたとき、一度お断りしているんです。
当時はまだ、仕事と子育ての生活で精一杯で、「そこまで手が回らない」というのが正直な気持ちでした。
ただ、その後に参加したシンポジウムで、海外の患者会の取り組みを知る機会がありました。そこで、患者同士がつながり、医療や生活に関する情報を共有している様子を見て、「こういう場が日本にも必要だ」と強く感じたんです。
それまで私は、夫の発作の際に「分からない中で手探りで進むしかない」という状況を経験してきました。もちろん同じ状況の人とつながれる場はほとんどなく、「この状況をどう乗り越えればいいのか」を相談できる場所もありませんでした。
だからこそ、同じ病気の人がいると知れること、同じ悩みを安心して話せること、それ自体に意味があるのではないかと思ったんです。
「自分だけじゃない」と思えるだけで、人は少し前を向ける。そのきっかけになる場をつくりたい、そう思い、患者会の立ち上げを決意しました。 - — 現在、HAEJではどのような活動に力を入れていますか。
-
現在は、交流会の開催や医師の医学学会へのブース出展を中心に活動しています。もちろんSNSなどを利用した啓発活動や、各種講演登壇、コンソーシアムとの協業なども精力的に行っています。 東京・大阪などの大都市だけでなく、地方で交流会を開催することも大切にしています。地域によって医療環境や情報の届き方に差があるため、実際に足を運び、その場でつながることに意味があると感じているためです。
地方で開催する際には、その地域の医師と連携しながら、患者さんやご家族、関係者に呼びかけを行っています。医師から案内していただいたり、その医師に講演をお願いしたりしながら患者会の信頼性を高め、安心して参加してもらえる場にできるよう努めています。そのためにも、学会で日本全国の医師の先生とネットワーキング出来ることも、とても重要なのです。ブースに立ち寄っていただいた先生から逆に相談を受けることもあるんですよ。様々な立場の多くの方々の意見を、集約できていると思います。 - — 患者さんやご家族にとって、HAEJはどんな存在になっていると感じていますか。
-
患者会は、同じ立場の人が安心して経験を共有できる場として大きな意味があると感じています。
例えば、「こういうときどうしているか」「どのように医師や周囲に相談しているか」といった日々の困りごとに対する具体的な向き合い方が、自然と話題にのぼります。
実際に経験してきた人の言葉だからこそ、納得感があり、「自分もやってみよう」と思えるきっかけになることも多いです。
「困ったときに相談できる場所がある」ということ自体が、患者や家族の大きな安心につながっているのではないかと思います。 - — 同じ立場の人と出会うことで、どんな変化が生まれるのでしょうか。HAEJの活動の中で印象に残っている場面があれば教えてください。
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やはり、「自分だけではなかった」と知ることの意味は大きいと思います。
初めて参加された方が、「話せてよかった」「会えてよかった」と涙を流される場面もありますし、それまで抱えていた孤独感が少し和らぐ瞬間に立ち会うこともあります。
また、「周りに迷惑をかけてしまうのでは」と、仕事や子育てを必要以上に制限していた方が、「工夫すれば続けられるかもしれない」と前向きに考え直すきっかけとしてもらえたこともあり、HAEJの存在意義を強く感じました。実際に私が先生と先生を繋ぎ、オンライン診察なども利用しながら、これまでできていなかった治療ができるようになった患者さんもいますし、海外のHAE患者会に思い切って参加して、内向きだった気持ちが少しずつ晴れやかに変化したお子さんもいるんですよ。
さらに、HAEJの活動の中では、自分たちの課題や思いを社会に伝える機会があるのですが、これも大きな意味があると思っています。情報を受け取る側から発信する側へと意識が変化することで、「自分に何かを動かす力があるかもしれない」というポジティブな想いを抱けるようになる方もいて、その変化はとても印象的です。 - — 患者会での出会いやご自身の経験を通して、病気の捉え方が前向きに変わっていく場面にも立ち会ってこられたのですね。そうした中で、当事者である娘さんはHAEをどのように受け止めていると感じますか。
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娘は、「自分だけの個性の一つのようなもの」として受け止めているようで、確かに面倒だけれど「別に嫌ではない」と話しています。
私自身、このような活動のおかげで正しい知識を身に付け、頼れる先生方とも交流ができ、娘のもしもの発作のための備えもできているため、必要以上の不安を抱くことは幸いありません。娘も、小さいころから私とともに患者会活動に同行・参加していて、HAEのことをよく理解しています。近年は自分より小さなお子さんたちが患者交流会に参加してくれる際は、一緒に遊んでくれたりして、ヤングリーダーのようで頼もしいです。私たちは前向きなタイプですが、「もし何かあったら」と不安な方々の気持ちもよくわかります。不安な気持ちも大事にしつつ、「不安が無かったら本当はどうしたい?病気が無かったら何がしたい?」と明るい日常や将来をまずはフラットに想像してもらい、そのためにご自身で何ができるのか?そして患者会はそれをどうサポートできるのか?を考えています。
不安に押しつぶされてしまうと、誰でも本当にしたいことや自分の本来ありたい姿に蓋をしてしまいますよね。だからこそ、私自身も娘に対しては親として、前向きに、病気を必要以上に重く捉えすぎないように接してきました。患者会で出会う患者さんたちにもなるべくそのように接してきています。
そのような中で、娘の自身の病気に対するポジティブな言葉を聞いたとき、伝えてきたことをそこまで前向きに捉えてくれているのかと思い、驚いたほどです。HAEは日本では治療方法があり、コントロールもできる、難病指定もされている、といういわば恵まれた治療環境がありますから、このくらい前向きに捉えて向き合ってもいいのではと思います。
娘の姿からも、病気は「隠すもの」「知られないようにするもの」として抱え込むのではなく、「色々ある不調の一つ」として受け止めることもできるのだと、改めて考えさせられました。前向きさで培われてきた娘の強さを、私も母の強さで支えたい。その思いは変わりません。
理解が広がると、
未来の選択肢は増えていく
- — 多様な声を社会につなぐ中で、HAEJとして特に大切にしている考え方や、活動の原動力になっているものは何でしょうか。
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患者や家族の立場からの意見を、製薬会社や医療者、そして社会に伝えていくことが、結果として生活環境の改善につながっていくのではないかと考えています。それが、活動を続けていくうえでの大きな原動力になっています。
HAEは生涯向き合っていく病気ではありますが、医療の選択肢は広がってきており、そうした意味では、今の環境は以前に比べて恵まれていると感じています。だからこそ、その環境をさらに良くしていくためにも、患者側の声をきちんと届けていくことが大切だと思っています。
その積み重ねが、より良い医療につながったり、生活の質の向上につながったりしていく。そして、学校に通うことや、仕事を続けることなど、一人ひとりの「選択肢」が広がっていくことにつながればと思っています。
娘はもちろん、HAEの患者や家族のみなさんにとって「やりたいことを選べる」人生であってほしい。そのための支えになれたらという思いで、活動を続けています。 - —この病気や背景をこれまで知らなかった人が、日常の中で少し意識できることがあるとしたら、どんなことだと思いますか。
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特別なことをする必要はなくて、日常の中でのちょっとした声かけや気遣いが、とても大きな支えになると思っています。
例えば、「体調大丈夫?」「無理しないでね」「少し休んだらどう?」といった言葉や、「何かできることがある?」といった寄り添いをしてもらえるだけで、一人ではないと感じられます。
また、HAEの発作時には自己注射が必要になることがあります。そうした場面では、「ゆっくりで大丈夫だよ」といった一言があるだけで、安心できることもあります。
このような一つひとつの関わりが、患者や家族にとっては「理解してもらえている」と感じられるきっかけになり、安心して日常を過ごすための土台になるのではと思います。 - — これからの社会に向けて、松山さんが伝えていきたいことがあれば教えてください。
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HAEは、現時点においては完治する病気ではなく、生涯向き合っていく必要がある病気です。一方で、治療の選択肢は広がってきており、自分に合った形で向き合いながら生活していくことができるようになってきています。
以前に比べて、「できること」は確実に増えてきていると感じています。だからこそ、病気があることによって何かを諦めるのではなく、自分が望む日常を送れる社会になっていってほしいと思っています。
やりたいことを諦めずに、その人らしく過ごせること。そうした当たり前のことが、当たり前にできる社会であってほしいと願っています。 - — 最後に、この記事を読んでいる皆さんへ、松山さんからメッセージをいただけますか。
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HAEの疾患名そのものについては、以前に比べると認知されてきていると感じます。ただ、日常生活の中での理解という意味では、まだ十分とは言えない部分も多いのが実情です。
「知っている」と「理解している」の間には、やはり大きな差があります。実際に、誤解や偏見の多くは「知らないこと」から生まれていると感じる場面もあります。
だからこそ、地道ではありますが、情報を発信し続けていくことが大切だと思っています。少しずつでも理解が広がっていくことで、患者さんやご家族が生きやすい社会に近づいていくのではないでしょうか。
また、HAEのような病気に限らず、日常の中で何らかの不調を抱えている方は多いのではないかと思います。頭痛もちだったり、お腹が弱かったり、人それぞれに抱えているものがありますよね。そうした不調と向き合う感覚の延長線上で、HAEのことも捉えてもらえたらと思っています。
「特別でよく分からないもの」として距離を置くのではなく、身近なヘルスケアの一つとして考えていくこと。それだけで救われる人はきっと増えると思いますし、その積み重ねが、さまざまな課題の解決につながっていくのではないかと感じています。
